長篠の武田軍敗因は鉄砲の数じゃなかった・・

 

こんにちは。

桑原通夫です。

 

どうする家康・・では

織田の鉄砲隊が

騎馬の武田軍を火縄銃で

撃滅させた・・

 

というあの有名な長篠の戦い

再現されていました・・

 

武田軍は一方的に織田の鉄砲隊に

打ち負かされた・・

というイメージを持っている人が

大半だと思います。

 

鉄砲という近大武器によって

勝頼は無残にやられた・・

 

というのが、私も歴史で学んだこと

でしたが、

 

 

実は武田軍も信長と同じぐらい

鉄砲を準備していた・・そうです。

 

確かに織田・徳川の連合軍は

兵数では

武田軍を圧倒していました。

 

しかし、鉄砲の数は同じだった‥

という事です。

 

では・・何故あれほど一方的に

武田軍が負けてしまったのか・・

 

実は長篠の戦いで勝敗を分けたのは

鉄砲の数そのものではなく

 

具体的には弾薬の数だった・・

という事です。

 

当時、弾薬の原料となる

硝石、火薬、鉛は、

日本にはなくすべて

海外からの輸入でした。

 

楽市楽座で有名な信長は、

当時物流の大動脈を握っており、

鉄砲だけでなく、弾薬でも

十分に蓄えておりました。

 

結局、長篠の戦い

武田軍の弾薬不足により

織田軍が圧勝した・・

というのが真実のようです。

 

武田軍も同数の鉄砲を

持っていたにもかかわらず

肝心の弾薬が不足していた・・

 

火薬や鉛の玉が無ければ

鉄砲だけでは戦えません・・

 

武田軍が大敗したのも

従来の戦い方・・

騎馬戦に固執したからでも

鉄砲を馬鹿にしてしていた

からでもありません。

 

弾薬不足という・・

肝心の備えが不足していた

ことが、大きな敗因だった・・

という事です。

 

実際に武田軍は織田信長

戦う以前の

2度目の川中島合戦では

300挺の鉄砲を既に使っていた・・

という史実もあります。

 

勝頼もただの頑固者ではなく

新しい武器も備えていたのです。

 

それなのに大きく勝敗を分けたのは

何か?と言えば・・

今でいう 物流と管理不足

という事になります。

 

鉄砲だけでは戦えません。

同時に火薬・弾丸の蓄えが

必要ですが

 

火薬を作るための硝石や
弾丸の元となる鉛は

輸入に頼っていました。

 

という事で、勝頼には簡単には

入手できませんでした。

 

一方の織田軍・・信長の方は

得意な南蛮貿易によって
硝石や鉛の確保を行っていました。

 

そして訓練も十分に行っていた・・

ということで

既に戦う前から勝負は決まっていた・・

 

信長にとっては、余裕を持っての

勝ち戦だった‥という見方もあります。

 

戦いは総合力ですから

他にも武田軍の敗因はいろいろ

あったとは思いますが

 

まとめて言えば・・

管理能力の差・・と

言えるのかもしれません。

 

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