釈迦やキリストは幸せだったのか?・・罰当たりな事を考えてみた・・

こんにちは。

桑原通夫です。

 

人間には欲望があります。

欲望を満たすことが出来れば・・幸せなはずです。

 

お金が欲しいと思う人はたくさんいますが・・・

お金が欲しい・・・と言ってもお金そのものよりも

 

お金によって手にすることが出来るもの・・

がほしいのです。

 

つまり・・お金によってさまざまな欲望が

満たされることが幸せなのです。

 

お金を部屋に積み重ねて・・眺めているだけでも幸せ・・

と言う・・変人も探せばいるかもしれませんが・・・

 

本当はお金によって自分がほしいものが手に入ったり・・

やりたいことが実現できることが幸せなのです・

 

ですから・・銀行にいくら多額の預金があったとしても

使わなければ・・・何にもなりません。

 

今の高齢者は平均で2000万ぐらいの通帳残高を残して・・

あの世に旅立つそうです。

 

本当は・・自分のやりたいことが出来る様に蓄えたお金なのに

通帳の残高が少なくなることが恐怖で・・・

 

節約して、倹約してぎりぎりの生活をして‥・

たくさんの残高をのこしたまま・・

人生を終えてしまうのです。

 

日本人の65歳以上の人の銀行資産は

400兆以上もあるそうですから・・

 

自分がやりたいことを実現できれば…

一番幸せだと思っています。

 

そのやりたいことは人それぞれに違いますが、

痛い思いをしたい・・とか、あえて苦しい思いをしたい・・・

 

ということではなく普通に考えれば‥・

快適な空間で快適な生活をしながら・・

気の合う仲間や大切な家族と過ごせれば・・

 

最高の幸せだと思いませんか?

 

そのためには・・・お金が必要だと思うわけです。

 

時間も大事ですが‥・お金が無いと、時間を提供して

お金を得るために自分の大事な時間を失うことになります。

 

お金があれば・・その時間を自分のために

使うことが出来ます。

 

さて・・・罰当たりな考えをしてみましょう・・・

 

釈迦はお金持だったでしょうか?

キリストはどうだったでしょうか?

マザーテレサは・・豊かだったでしょうか?

 

もちろん・・この三方はお金のために

生きた人ではありません。

 

自分の事よりも、多くの人々の幸せを願って

生きた人達ですから

 

私のようなものとは・・次元が違いますので

比べることなどできません。

 

釈迦やキリストやマザーテレサの願望が

貧しい人や迷い人の救済であれば

 

そのような対象となる人たちのもとで

自己犠牲にして役に立つことこそが

 

無常の幸せ・・だったのかもしれません。

 

でも・・・それらはあくまでも他人の

推測にすぎません・・・

 

人間は・・食べ物が無ければ

生命維持が出来ません。

 

お金が無ければ、

生活維持が出来ません。

 

人の為に自己犠牲出来ることは、

立派かもしれませんが

 

それが幸せとは・・結びつかない

と思います。

 

いい人・・・と幸せな人は違うのです。

いい人・・とは他人の評価によるものです。

 

幸せとは・・自分で感じるものです。

 

他人評価がいくら高くなっても・・・・

そのために自己犠牲も多くなるのであれば

決して本人は幸せだとは思えないのです。

 

逆に・・人から変人だと思われようが

自分のや痛い事を誰に遠慮することもなく

 

自己犠牲感も抱かずにできるのであれば

それの方が幸せだと思いませんか?

 

みんなを平等に愛する・・なんて不可能なことを

目標にしたら・・人生は狂ってしまいます。

 

人には本能があります。

人には欲望があります。

人には感情があります。

人には向上心があります。

 

これらが満たされたいと願って

生きているのが人生だと思います。

 

最後までお読みくださいましてありがとうございます。

 

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